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19歳で若年性脳梗塞6「リハビリの成果」

甥っ子の顔を見たくて、私は毎週日曜日にお見舞いに行きました。
会うたびに元気になっていました。


訓練も始まり頑張ってる姿がありました。
このとき脳の手術をした病院から隣に隣接しているリハビリ病院に転院しました。


回復の目安として
発症後1ヶ月までが比較的回復しやすく、その後回復が鈍り、3ヶ月で8~9割、6ヶ月で9割以上の回復が終了します。一般的には6ヶ月以降の回復はほとんどないといってよいのですが、廃用による筋力低下の要素が関与している場合は改善の余地があります。


お見舞いに行くと脳のリハビリとしてオセロをしたり、折り紙を一緒に折ったりして遊びました。オセロは甥っ子はなかなか強く負けてしまいました。


お箸は、左手で食べる練習も順調で日に日に左手が器用になってます。
服を着替える時、右手の代わりに口で袖を噛んで着替える練習、ひらがなも「あいうえお」から数字も1から頑張って覚えるリハビリを始めていきました。


折り紙を左手と口を使って鶴を折って見せてくれた時は涙がでました。
人間の能力とは本当にすごい。左手、指一本一本を器用に使ってその姿が忘れられません。


そうして歩く練習が始まりました。足は倒れた時は歩くことは難しいかもしれない、と先生に言われていましたが杖をついて少しずつ歩くことが出来るようになってきたのです。すごいです!



退院する頃

言葉・・・・ゆっくりですがしっかり話せるようになりました。数字や、ひらがなはまだスラスラ読む事はできませんが会話はスムーズに話すことが出来るようになりました。


歩く・・・・足に力が入らないのでゆっくり、ほんの少しの距離なら杖をついて歩くことができました。車いす生活を覚悟していましたが光がみえてきました。


右手・・・・寝てると、たまに手を両手上げてる時があったようですが、まだ動きません。指は動きませんが腕には少し力が出てきました。


生死をさまよい、ここまで回復できるなんてあの、ICUにいた時からは想像も出来ないくらい回復して退院しました。


次は回復期です。自宅近くのリハビリ病院に転院することになしました。


急性期のリハビリテーション・・・発症から約一ヶ月半(廃用症候群をふせぐことが目的)
*ベッドの上で手足を動かします。(関節可動域訓練)
*ベッドに座る.座位訓練)
*食べ物を飲み込む(嚥下訓練)
*立つ(立位訓練)


その7へ続く
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19歳で若年性脳梗塞5「家族の生活は?心境は?」

甥っ子の脳梗塞治療が一段落し、術後は順調で再発も取り敢えずはなくなりました。
この頃家族の疲労はピークだったのではないでしょうか。今までの生活とはガラリと変わってしまったのですから。



<家族の生活の変化>

お姉さん(甥っ子のお母さん)
*仕事をしていたのですが当分仕事を休む事になる。
*病院から自宅は遠いので病院に泊まり、家には帰れずつきっきりの生活をする事になる。

お兄さん(甥っ子のお父さん)
*仕事が終わるとすぐ毎日病院に通い、2時間近くかけて夜中家に帰る生活になる

甥っ子の姉
*保育士の仕事をしながら、掃除、食事、買い物、家の事全部やり、一人で家を守っていました。


こんな生活がしばらく続いたのですがみんな疲労が限界になり、また少しずつ変わりました。

•お姉さんは、(甥っ子のお母さん)実家が病院から40分くらいにあるのに気づいた後、甥っ子の病院へ通う日々、退院するまでご主人の実家で暮らすことになる。

•お兄さんは(甥っ子のお父さん)毎日病院に通いたいけれど仕事に集中出来なくなるといけないので週末だけ病院に通うことになる。

•甥っ子の姉は、お父さんの食事と家事全部を仕事しながら家を守ります。
病院には週末に通う。

とこんな生活が続き家族みんなバラバラになってしまいました。


お姉さんは(甥っ子のお母さん)とても強い人です。甥っ子の前では明るく前向きで立派なお母さんです。いつも笑顔で弱音を吐きませんでした。「頑張るんだよ」といつも甥っ子を励まして前向きに生きて行く事を教えていたのはお姉さんです。そしてそのお姉さんを支えていたのはお兄さんです。家族の愛と底力を垣間見ました。


しかし、「本当はね、家に帰ると毎日毎日お姉さんは泣いているのよ」と旦那のお母さんが涙を流し教えてくれました。「なんでこんな事になってしまったんだろう、あんなに元気やったたのに、何が悪かったの、まだ19歳やというのに、なんで、なんでなの」と毎日泣いてるのよと・・・。


家族1人が病気に見舞われるとこんなにも生活が変わってしまう…。
悔しくてなりませんでした。でも悔しさをどこにもぶつける事ができませんでした。


祖母は、「くよくよみんな泣いたらあかん、前に進むしかないねん!泣いても身体は元に戻らん、頑張って支えていかなあかんねん!」といつも叱咤激励してくれていました。


それでも、前をいつも向いて落ち込むことなく生きることを一番頑張っていたのは甥っ子自身でした。


こんな生活が続きましたが、彼は隣にあるリハビリ病院に転院することになりました。


その6へ続く
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19歳で若年性脳梗塞4「頭蓋骨をはずす手術?」

脳梗塞を起こした次の日、「脳の手術をしなければいけない」と病院から連絡がありました。


医師の説明によると、脳梗塞が起き、出血と脳が腫れることにより、腫れがおさまるまで「頭蓋骨を少し外す」というのです。


頭蓋骨を外す・・・?


スキー中に転倒し、岩で頭部を強打して病院に搬送され昏睡状態から現在意識が回復した元F1ドライバーのM.シューマッハ選手も初期の段階で頭蓋骨を外し脳への圧力を和らげたという経過がありましたが、シューマッハ選手と似たような状態なのかもしれません。


*開頭外減圧術・・・脳梗塞がおきると2~3日後に脳が一番腫れふくらみ大体2週間くらい続きます。


このままにしておくと脳にダメージをあたえるため頭蓋骨の一部分を一時的に切って外す手術。
脳の腫れが引いたらまた頭蓋骨を手術をしてもとに戻します。



手術の日もみんなで千羽鶴を折り続け祈っていました。この手術は命にかかわるような手術ではないと聞いていましたが不安で胸がつぶれそうなほどでした。義姉さんは、ずーっと泣き続けています。
私たちにできるのは祈ることだけでした。


長い長い時間が経ち、手術は無事終わりました。頭に包帯が巻かれていて、見てるだけで辛かったです。


最初の段階では、頭の骨が一部分外れてるので触るとフニャフニャな感じで強く触るとめまいや吐き気が起きるようです。


頭の骨を外すなんて考えただけでも怖いです。脳みそが出てきたらどうするんだろう?
とか…私は理解できず不安と怖ろしさで黒いタールがじっとりと流れてくるような感情に占められていました。


甥っ子の意識が戻り、後日お見舞いに行くと自分の頭を指さして「ここフニャフニャやねん」とちょんちょんと頭を触り見せてくれました。


えっ!触っても大丈夫なの?とみんなヒヤシヤでしたが甥っ子はいつも


「大丈夫、大丈夫」といつもニコニコして逆に私が勇気や力をもらっていました。


これはきっとお姉さんやお兄さんが必死に看病し、励まし続け、前向きに頑張ってるから甥っ子の精神状態が落ち着いてるんだなあと感じました。


脳の腫れも治まり骨をまた元の状態に戻し順調に回復していきました。
(元に戻す頭蓋骨は頭蓋骨そっくりにつくった人工骨をもどします。)


そして隣にあるリハビリ病院に転院することになりました。


その5へ続く
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19歳で若年性脳梗塞3「脳梗塞の症状とは」

甥っ子の脳梗塞は左がつまってしまったようでした。脳梗塞は左がつまったら反対側の身体が麻痺になります。言葉もすっと出てこない言語障害もありました。


家族と親戚が祈り続け、見守る中、なんとか山を乗り越えた甥っ子は、私たちの言ってることはわかるようでしたがが、今までのようにスラスラと言葉を話すのは難しい様子でした。しかしうなずいたり、すこし笑ったりしてくれました。


甥っ子はこのとき脳梗塞の急性期でした。まだまだ安心はだきません。

・梗塞発症直後から3週間までを急性期
・脳梗塞の発作から1か月過ぎた辺りを慢性期
・病状安定後から3~6か月程度までは回復期
・それ以降は維持期


先生からは「まだ若いのでリハビリをがんばれば歩くこともできるようになる可能性もありますが、車椅子の生活になることを覚悟してください」と言われました。


そうなのです、甥っ子の脳梗塞は軽くありませんでした。
倒れてからすぐ病院に運ばれたのですが脳の損傷は大きかったのです。


<脳梗塞の症状>

運動障害
・脳の左側の手足の運動にかかわる脳の部分が傷害されると右半身全体に、脳の右側の手足の運動にかかわる脳の部分が傷害されると左半身全体に麻痺がおこり手足が動かしにくくなります。
感覚障害
・運動障害と同様に脳の左側の半身をつかさどる神経が傷害されると右半身に、脳の右側の半身をつかさどる神経が傷害されると左半身にしびれや痛み、感覚麻痺がおこります。自覚するのは一部だとしても顔から足まで半身全体におよんでいます。
言語障害、失語症など
・言葉にかかわる中枢が障害されると話したいのに言葉が出てこなくなったり、人の言葉が理解できない「失語症」になったり、物事を認知できない「失認症」などになります。
視覚障害
・視野の半分だけが欠ける「同名半盲」になったり、目の後ろにある目を動かすための神経が傷害されるとものが二重に見えます。
バランス感覚の障害
・体のバランスが悪くなったり立てなくなったりふらついてうまくあるけなかったりめまいがおこります。
摂食、嚥下障害
・食べのがうまく飲み込めなくなります。
意識障害

呼吸困難

などの症状がでることがあるようです。


甥っ子の場合は運動障害言語障害が症状としてありました。顔面麻痺も少し出ていました。


しかし私が心配していた、自分の体の状態を知って荒れたり、落ち込んだりすることは、私たちの前ではまだありません。


生きていている、命が助かった、という気持ちが強く、私の方が甥っ子に生きる意味をたくさん教えてもらいました。


脳梗塞を発症して3日間が山と言われなんとんとか乗り越えた甥っ子ですが、この3日間を乗り越えるのに実は大きな山があったんです。


脳梗塞を起こした次の日、脳から出血があると言われ手術をしなければならなくなったと連絡がきました。

その4へ続く

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19歳で若年性脳梗塞2「生死をさまよう」

甥っ子が脳梗塞で倒れたなんて・・・
まだ19歳です。なんで?…すぐ私達家族は病院に駆けつけました。


甥っ子はICUという部屋にいました。

ICUとは、集中治療室(しゅうちゅうちりょうしつ)は、病院内の施設の一種。呼吸、循環、代謝その他の重篤な急性機能不全の患者の容態を24時間体制で管理し、より効果的な治療を施すことを目的とする。
英語では「Intensive Care Unit」と呼び、日本でも「ICU」という略号が用いられることがある。




看護婦さんに「たくさん話しかけてください」と言われます。
話しかけても目をつぶったまま起きません。


大きな声で話しかけると目を開けますがすぐ眠ってしまいます。
目を開けてても見えてるのか見えてないのか話しかけても返事をしてるようにも思えます。


その姿に私は涙が止まりませんでした。時々左足と左手は動いてましたが、右手右足は動きません。何より旦那のお姉さんとお兄さんを見るのが辛かった…。


自分達がしっかりしなければと強くなろうとしているのをひしひしと感じました。ICUなのでこういう時って部屋がなく病院の座談室で3日間過ごさないといけないんです。家族の疲労もたまってきます。



倒れた場所が仕事の現場だったので、家から病院まで遠く2時間くらいかかり家に帰るのはかなりの労力を要します。この3日間は地獄の3日間でした。とにかく命だけ助けて!生きてほしい!その時はそれだけをみんなで祈り千羽鶴を折って過ごしていました。


色々検査をしたようですが甥っ子が脳梗塞になるような原因はみつかりませんでした。
血液検査も全部異常なし。


こんなことあるのでしょうか。
お姉さんは(甥っ子のお母さん)は事故にあったのと同じような感じだと言っていましたが悔やまれるばかりです。


祈りが届き3日ほどした頃、山を乗り越え少しずつ起きてる時間も増えてきました、安定してきたのです。


生きてくれて本当よかった!
意識が少しづつ戻り「よく頑張ったね、よく生きててくれたね」と話しかけると、甥っ子は「うん、うん」と笑顔で答えてくれたんです。甥っ子の友達も駆けつけてくれると一番の笑顔になりました。



私はしかし別の心配をしていました。意識がちゃんと戻り、自分の身体を甥っ子が知った時どんな思いをするんだろうか、傷つき、落ち込むどころではないのではと。

その3へ続く

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